カントの朝を飲みながら『哲学ノート』を読む

哲楽珈琲のなかで一番深煎りなのは、カントの朝で使っているイエメンのモカです。目覚めの一杯として、エスプレッソにして飲むのがオススメです。昨日はスピノザの「後悔するものは…無能力」についてご紹介したので、今日は三木清の『哲学ノート』からカントの天才論をご紹介します。

天才はカントによると美なるものを作り出す生産的才能である。これに対して趣味は美なるものを判断する能力である。美的判断は趣味的判断にほかならない。カントの判断力批判の主題は美的判断であつた。それでは天才と趣味とは如何に関係するであらうか。趣味は単に美なるものを判断する能力であるとすれば、芸術作品の生産にとつては趣味のみでは足りないといはねばならぬ。ところがカントは他の場合には芸術作品を趣味の生産物といつてゐる。これは矛盾であるやうに見える。しかしこの矛盾は外見上のものである。天才は自然として芸術に規則を与へるといふカント自身の定義に従ふと、趣味との一致は天才から離すことができず、むしろ本質的なものとして天才に属さなければならぬ。

三木清『哲学ノート』光明社、1962年、p.35より

カントの天才論によると、「美的なものを判断するだけでなく、生産する才能こそが天才!」ということのようです。後悔しないのも大変ですが、天才になるのも大変ですね…。

 

 


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